海外駐在で超えるべき壁①~生活編~

皆様こんにちは。JGA税理士法人/税理士の片瀬です。

 

以前に㈱幻冬舎のゴールドオンラインにて「海外進出する企業が超えるべき「3つの壁」とは?」というタイトルで記事を執筆させてもらいました。ただ、この記事は個人的に少し消化不良で書きたいことが書けなかったなという思いがあるので、存分に羽を伸ばして当コラムを書こうと思います。私が海外駐在時代に考えていたことを当時の記憶のまま記載しますので(当時メモ書きとして残していたので)、これから海外に駐在する方や、現在海外駐在されている方、海外ビジネスを行っている方など楽しんで読んでいただければ幸いです。

 

今から10年ほど前、私の初めての海外赴任地は、地球の反対側のメキシコでした。

 

それまで海外旅行にも行ったことがない中でのいきなりの海外赴任。しかもイケイケのコンサル会社にいた私は、赴任を言い渡されてから3週間後(日本での準備はパスポートを取り、自宅を引き払うだけ)にはメキシコの地を踏んでいました。もちろん海外で仕事をする覚悟など一切持ち合わせていません。「やった!」とも「やだな~」とも考えず、普通に会社に出社するように、気が付いたらメキシコにいました。ありえます?ええ、あり得るのです笑。
※おかげで今や飛行機がトラウマであまり乗りたくありません。思え返すと、本当は、不安で、嫌でたまらなかったのでしょう。当時は「やる!」以外の選択肢がなかったなぁと思います(覚悟を決めて成長しようと思っていました)。

最初の一週間はスペイン語ネイティブの方が同行してくれ、アパートだけはなんとか確保してもらいましたが、英語が喋れず、スペイン語も喋れず、通訳もおらず、クライアントもいない、ないない尽くしのメキシコ生活がここからスタートしました。

 

皆さんは、メキシコ生活にて、何に苦労すると思いますか?

 

そう、最初に苦労するのは間違いなく言語(コミュニケーション)です。
※当時はこんな当たり前のことも分からなかったのです。メキシコに、現地に行くまで誰もが考えるであろう言語での苦労は考えてもいなかったのです(実感が全く沸いていなかった/学生時代から海外には一切触れていなかった)。

私は英語も碌に話せない中、メキシコへ突撃したためにそれが一層顕著に表れます。本格的にまずいと思ったのは、1人になった初日に行ったKFCでの一幕です。カウンターで「Can I have ~~」といくら話しかけても通じず、「○○○○」と訳の分からぬ言葉で捲し立てられます。後ろの人からも「○○○○」と訳の分からぬ言葉で話しかけられます。私はそれらを苦笑いとともに全て無視します。後ろの話しかけてくれた方も、話が通じず、無視されたために両手のひらを上に向け、あーあというポーズで首を振っています。その仕草で更に羞恥心を刺激され、日本語とジェスチャーで注文し、逃げるようにその場を後にしました。

今考えると「○○○○」と訳の分からぬ言葉も全て英語だったのだと思います。英語がそもそもできないのに加え、平常心を失っていたこと、スペイン語訛りのヒアリングが全くできなかったこともあり、頭の中で訳の分からぬ言語に変換されてしまったのでしょう。正直、“あーあ”ポーズも馬鹿にされているようで腹が立ちました。その方は決して私を馬鹿にしていないし、困ったなぁくらいのニュアンスなのに。

 

このような事が何度かあり、コミュニケーションの重要性に気が付いたはずなのに、私は語学の勉強でも失敗しています。

 

上記のスペイン語ネイティブの方が同行してくれた一週間で出来たメキシコ人のつながりは、不動産屋のブローカーの女性(モニカさん)だけだったので、最終日にモニカさんに改めて連絡を取ってもらい、彼女にスペイン語の家庭教師を頼んだのです。

モニカさんは、「いやいや私は先生なんてやったことないし、逆に迷惑をかけてしまうから他の人に頼んだ方がいいですよ?」と何度も断られましたが、明日からコミュニケーションが一切取れない環境になるのが怖くて、鬼気迫る勢いで頼みこみました。本当にお願いと。相当しつこかったと思います。5回は断られましたが、最終的には何とかねじ込みました・・・笑。

これが語学学習という面からは間違いでした。もちろん最初の内は全く授業にならず、予習復習のスペイン語学習でしか上達を感じられない毎日。それでも3か月もすると単語はつなげられるようになるので、意思疎通できるようになるのですが、動詞の活用(スペイン語は動詞の活用が難しい)などはまだ覚えられていません。意思疎通できるというよりも、相手が自分の意思を酌めるようになったために意思疎通できた気がするようになるが正解です。

語学の勉強は定期的に教師を変え、自分の得意とする言語で習得する言語の体系を教えてもらった方が、私の場合は、よほど早く上達します。ただ、耳が良い人で、聞いた音をそのまま口から出せる人は嫉妬するくらいに語学の習得が早い事実があります。そのため歌が上手い人は是非語学の勉強をしてみてください。ポテンシャルを秘めているため、最高効率で、かつ、絶対に自分の武器(自信)になりますので。
※私が語学に挫折した一番の理由は、口に出す音が相手に通じない(何度も聞き返される)ことにイライラしてしまったからです。楽しいことよりも、このイライラが大きかったためだと思います。

 

ただし、(語学以外の全てにおいては)このモニカさんがいなければ支障をきたしていたかもしれません。

 

ビジネスにおいても例外ではなく、何もない中でメキシコに赴任したので、赴任当初は会社にお金がなく(売上もたっていないため)採用もできずに、提携先のオフィスのジャパンデスクとして常に1人で活動していました。受注した業務(クライアント)は、スケジュールとコミュニケーションを私が担い、それ以外の手続き関係や記帳実務については、基本的に提携先に投げていました。ただ、提携先に仕事は振れますが、雑用を振ることはできません。
・・・・ですが、メキシコでのビジネス・生活において、実はこのような雑用で困ることが多かったのです。
請求書(領収書)の整理・発行、会計用語、電話のかけ方、住所の見方、銀行の利用、買い物の仕方、移動の仕方(飛行機・バス・タクシー)、身の守り方、強盗にあった際の対処法、人材採用、安全な飲食店、夜の行動の仕方(タクシーをどう呼ぶか、その際のチップは)など、いろいろなことを彼女に教えてもらいました。その国の基本的なルールや慣行は現地人に教えてもらわなければ、いくらネットで夜な夜な調べたところで日本語では出てきません。なので、いつからかスペイン語の勉強というよりも、生活の全ての確認をモニカさんにするようになっていました。

日本人駐在員であれば、基本的には、フォローしてくれる人材がいる環境(会社が用意してくれている環境)に身を置くことになりますが、生活を含めてフォローしてくれる方がいなければ自分で探さなくてはなりません。もちろん言語も碌にできない方をフォローなしで海外に送りだせば生き抜く力は付くかもしれませんが、すぐに辞めて日本に戻る可能性も高く、戻ってこなかったとしてもより多くのコスト(機会損失含む)が必ずかかることになります。

 

※通訳を採用するポイント(絶対!とても重要!)※
営業のフォローのため⇒日本人
管理のフォローのため⇒ローカル人材

もう一人、私のメキシコ生活を支えてくれたアルフォンソさんのことも書かないわけにはいきません。

 

モニカさんとアルフォンソさんがいてくれたからこそ、私はメキシコで果てずに、なんとか自分を保ち、一応の成果を上げることができたと思います。帰るときはいきなりで、あまり感謝を伝えられずに帰ってしまったのが心残りですが、今も遠く日本の地から感謝しています。

アルフォンソさんは、提携先(Russell Bedford Mexico)のマネージャーでした。常に1人で行動していた私を気遣って、いつも声をかけてくれた存在です。毎日お昼に誘ってくれ、ゆっくりと私に分かるように皆の話を伝えてくれ、休日にはホームパーティに誘ってくれて、子供のお祈りのための教会(日本でいう七五三みたいなもの)に誘ってくれ、トラブルがあった際にはフォローしてくれた大切な存在です。メキシコの方の凄いところは、心から温かいところ(ありえないくらいのフレンドリー)だと思います。
おそらく私が反対の立場で、日本のオフィスにメキシコ人が来たら、ある程度の距離をもって接してしまうことでしょう。いつも一緒にいたとしても、たまに面倒と感じてしまうこともあるでしょう。メキシコの方はそれがない。とても、言葉にできないくらい温かい国民性だと思います。

 

また、メキシコ人はノリも良くて、日本風のジョークも通じます。

 

あっちは至るところでサルサを踊っているような国なのですが・・・、もちろんアルフォンソさんに誘われたホームパーティでも、提携先のダンスパーティでも、はたまた皆で行ったバーでの一幕ですら、音楽・ダンスと共にあるのです。
日本人のことは、非常に好きでいてくれている(一度、何でそんなに日本のことが好きなの?と聞いたら、「アメリカとガチでやりあった唯一の国だからさ!」みたいなことを冗談交じりに言っていました)ので、私も皆からダンスのお誘いを受けます。人生で一番もてたかもしれません。
もちろん日本では踊ったこともなく、リズム感もなく、才能もなかったため、踊れるわけはないのですが、私が踊ると皆が笑顔になってくれます(正しくは、笑われているだけかもしれません)。

 

「ようへい(ジョエイ)!今日は調子悪かったな!」
「今日は肩が壊れてて!」
「いつもじゃねーかwww(爆笑)」

 

このノリを毎回やってくれます。日本じゃなくてもこのノリが通じるのだと嬉しくなり、お決まりの“くだり”として毎回やっていました。ちなみにメキシコ人はYOHEIの発音ができず、必ず「ジョエイ」となります。どこぞの三国武将だといつも思っていました。

海外で生きていくため(もちろん日本で生きていくためでもありますが)には、人との関りを絶って生きていくことはできません。正直怖いことばかりです。自分という存在を否定されることばかりであり、夜に不安で押しつぶされそうになることも多くあります。ただ、それでも人と関わって楽しんで、生きていかなければなりません。それならば自分の意志で、自分の考えで、自らを動かし、積極的に掴みにいった方が楽しいに決まっています。日本人はなかなかこれができない国民性であると思いますが、私はメキシコで学びこの壁を越えられたことが、今も仕事で活きています。

 

メキシコで学んだ最も大きなことは「どこでも自分は生きていける」ということ。

 

治安の悪いメキシコで、何も持たない自分がまがりなりにも生きていけたことは、その後の私の人生に大きな影響を与えています。独立して自分でビジネスを行っているのも、この経験による「何があっても生きていける」という思いから。会社員では絶対に味わえない経験をメキシコで若いうちに経験できたことは大きな財産となっています。

 

さて、長くなってしまったので、今回のコラムはここまでとさせていただきます。書いているのが楽しいテーマなので、この海外駐在に関しての記事は数回に分けようと思っています。まずは第一弾として、思うままに書いてみました。楽しんでいただければ幸いです。
※次回は仕事編を書きますので、もう少し参考になるものになるかと。今回は、まぁすみません笑。

追記:日本人は本当にもてます。一度、メキシコサブカルの聖地「Friki Plaza(セントロにあります)」にいったときに、「日本人ですか?」と話しかけられて、日本人と伝えると「一緒に写真撮ってください!」と何回も声をかけられました。それこそ人生で一番もてたかもしれません笑。皆様もメキシコに行くことがあれば是非!

 

【まとめ】

1.海外駐在で超えるべき壁①~生活編~

2.海外駐在で超えるべき壁②~仕事編~

3.海外駐在で超えるべき壁③~人間関係編~

 

【執筆者紹介】

JGA税理士法人

代表社員/税理士 片瀬 陽平

税理士業界が変遷する中、国際ビジネスのみが残された最後の領域であると考え、税理士法人時代から国際ビジネスに長く携わる。国際ビジネスには2種類(日本側・現地側が)あり、現地ビジネスに関しては、現地に駐在しなければクライアントにベストプラクティスの提案ができないと考え、2013年にメキシコに渡り、現地会計コンサルティングファームの立ち上げを行う。渡墨後は、日系企業のメキシコ進出サポート及び現地日系企業への経営コンサルティング(事業計画/年度予算作成、内部統制・不正調査、各種DD、連結パッケージ作成など)を主に行っていた。2016年にはタイに渡り、Bridge Note (Thailand)Co.,Ltd.(現BM Accounting Co.,Ltd)を立上げ、次いでインドネシアのPT. Bridge Note Indonesiaの移転価格事業部を組成した。また、2018年にタイ移転価格税制協力会の発起人としてタイ移転価格税制サービスレベルの底上げを行う。専門領域は、経営コンサルティング、インバウンド支援、国際税務コンサルティング、社内DX化など多岐にわたる